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福岡地方裁判所小倉支部 昭和44年(ヨ)401号 判決

申請人

高城守人

右訴訟代理人弁護士

斎藤鳩彦

右同

岩城邦治

右斎藤鳩彦復代理人弁護士

林健一郎

被申請人

日本国有鉄道

右代表者総裁

高木文雄

右訴訟代理人弁護士

村田利雄

右指定代理人

登根和幸

右同

白木貞惟

主文

一  申請人が被申請人に対し労働契約上の地位を有することを仮に定める。

二  被申請人は申請人に対し昭和四四年一二月一日から本案判決確定に至るまで毎月二〇日限り月額金四万九六〇〇円の割合による金員を仮に支払え。

三  申請費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  申請の趣旨

主文第一、二項と同旨。

二  申請の趣旨に対する答弁

1  本件仮処分申請を却下する。

2  申請費用は申請人の負担とする。

第二当事者の主張(略)

第三証拠関係(略)

理由

第一  申請の理由1の事実(当事者)及び同2の事実(被申請人が申請人に対し本件懲戒免職をなし、以後申請人を職員として取扱うことを拒否していること)は当事者間に争いがない。

第二  そこで本件懲戒免職の効力について以下検討する。

一  本件懲戒免職に至る事実関係

1  動労の組織と申請人の組合員歴

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる(証拠略)によれば、動労の組織及びその指令系統は、申請人の主張1(一)(1)のとおりであったことが一応認められる。

また弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる(証拠略)によれば、申請人は昭和三八年八月にそれまで加入していた国労を脱退して動労に加入したことが一応認められ、以後動労門司地本直方支部に所属し、昭和四二年一一月には同支部副委員長に就任したことは当事者間に争いがない。

2  本件闘争の概要

いずれも成立に争いのない(証拠略)を総合すれば、以下の事実が一応認められる。

(一) 五万人合理化計画

被申請人はかねて経営の合理化、近代化を企図してきたが、昭和四二年三月三一日動労、国労等の労働組合に対し「当面の近代化・合理化について」と題する文書により、合理化実施のための提案を行った。右提案の内容は、国鉄の業務体制を機械化、近代化することにより抜本的に刷新し、その結果生み出される余剰人員(総数五万人程度と予想された)を輸送改善等のために新たに人員が必要となる部面へ配置転換するというものであり、この合理化案は世上「五万人合理化計画」と呼ばれるようになった。

ところで右合理化案の一つの柱として「EL・DLの動力車乗務員数は機関士一名を原則とする」旨の一人乗務制の実施すなわち機関助士の廃止計画があり、これについて被申請人は、従来EL・DLの乗務員が機関士と機関助士の二人乗務制であったのを一人乗務制に転換する理由として、「SLはその構造上操縦作業と動力発生のための焚火作業との異質の二作業を行うため機関士と機関助士の二人乗務を必要とした。その後出現した近代動力車であるEL・DLにも二人乗務制が慣行として持込まれたが、EL・DLはその構造上一人で操縦できるようになっており、同一線路を運行する電車(EC)、気動車(DC)の大部分が一人乗務であることからしても一人乗務でも安全は確保できる。」旨の説明を行った。

これに対し労働組合側、特に動労は、一人乗務制の実施は輸送の安全を脅かし乗務員の労働条件を低下させ、さらには機関助士の廃止により雇傭不安にもつながるなどの理由を掲げて強く反発し、右計画の実施を阻止することを運動方針とした。

(二) 労使間の交渉経過

被申請人は、一人乗務制の実施をめぐり動労、国労などと交渉を重ね、その中で一人乗務制の実施は安全設備の充実に応じて段階的に進めるものであることや、一人乗務制の実施により過剰となる機関助士については原則として機関士に登用することなどを明らかにしたが、依然組合側は主として安全問題に固執して納得せず、昭和四三年九月ころまでの間交渉が続けられたが進展がみられなかった。

かくするうち被申請人は同年一〇月一日の国鉄ダイヤの改正を機に一人乗務制を実施する方針を打出したが、これに対して動労は国労との共闘により同年九月一二日に一二時間のストライキを実施するなど反対闘争を展開した。

かような労使の対立が続く中で同月一七日動労及び国労は被申請人に対し「一人乗務の安全性を裏付けるために医学的心理学的、工学的見地より検討することを提案する」との声明を発表し、これに応じて被申請人が第三者の構成による安全調査委員会の設置を提案したため労使間で協議の末、同月二〇日労使間に「EL・DLの乗務員数問題についての当面の処理に関する覚書」が成立したが、その内容は「EL・DL一人乗務の安全問題は別に設ける委員会に依頼する。委員会から答申された内容は尊重し、労働条件については団体交渉で決める。」というものであった。

かようにして一人乗務制の実施に関し焦点となった安全問題につき右委員会が調査を行うことになり、右委員会の委員として労使の共同推薦により大島正光東京大学医学部教授ら五名が選任され、同年一〇月一八日「EL・DLの乗務員数と安全の関係についての調査委員会(略称EL・DL委員会)」として発足した。

EL・DL委員会はその後昭和四四年三月二四日まで一五回にわたり委員会を開催したほか、広島―岡山間での実態調査、数線区にわたる延べ一五回の添乗調査及び委員や労使から提出される資料や鉄道労働科学研究所の調査資料を検討するなどの調査を行ったうえ、前同日をもって調査を打切り同年四月九日に調査報告書を提出した。右報告書には総括として「諸外国、私鉄、国鉄のEC・DCのそれぞれ一人乗務の実情からみて国鉄のEL・DLを一人乗務にする客観的条件は熟している。調査結果からみて一人乗務の生理的負担はその生理的限界を越えておらず、夜間の一人乗務の場合の生理的負担も生理的限界を越えることはないと考える。EC・DCの一人乗務が二人乗務よりも事故率が増えていないことは一人乗務を進めるうえで安全についての基本的な危惧のないことを示唆している。よって二人乗務を一人乗務に切換えつつそれを前提とした種々の施策を実施していくことを国鉄の基本方針にすべき時期にきているが、急激な実施は混乱を生ずるからある程度実績をみながら漸進的に実施していく心がまえも必要である。」などの意見が述べられていた。

(三) 本件闘争体制の確立

右調査報告書を受けて被申請人は同年五月一二日、動労など組合側に対して、同年六月一日より段階的に一人乗務制を実施すべく具体的な実施計画を提示した。(具体的な提案の内容は申請人の主張に対する被申請人の反論1(二)(2)中に記載の(イ)ないし(ニ)のとおり)

他方、組合側、特に動労はすでに右報告書について、EL・DL委員会は十分な調査を尽さないで調査を打切り調査報告を行ったものであり、科学的根拠に乏しいなどの見解を明らかにして一人乗務制の実施にあくまで反対する態度を明示しており、同年四月二五、二六の両日開催された動労の第二一回臨時全国大会においては、組合員の間で国鉄当局が六月一日以降助士廃止を強行する場合には組織の命運をかけて闘うべしとの声が圧倒的で、この大会では最終的に五月三〇日または三一日に原則として一二時間以上反復ストライキを行うこと、同月二五日以降スト直前まで強力な順法闘争を行うことなどの闘争方針を決定し、さらに前記の如く五月一二日に被申請人から一人乗務制実施の具体的計画の公式発表があったのちの同月一五日動労の全国代表者会議を開催し、同月三〇日から六月一日までの三日間全国主要線区で一二時間以上のストライキを実施すること、ストライキに先だち五月二五日からは徹底した順法闘争や籠城闘争を行うことなどの闘争方針を決定し、これを受けて同月二三日中央闘争委員会が開かれ、闘争戦術が決定された(その内容は申請人の主張1(二)(3)(イ)中に記載のⅠないしⅢのとおり)。

(四) 動労門司地本及び直方支部における本件闘争経過

動労門司地本では前記の動労第二一回臨時全国大会を受けて同年五月一三日に地本委員会を開催し、闘争方針として同月二〇日以降全支部順法闘争、安全運転、安全作業を実施し、同月二五日以降ATS闘争を含めて強力な順法闘争を実施することなどを決定した。さらに前記のとおり同月二三日中央闘争委員会の決定した闘争指令が各地本に伝えられ、右指令は翌二四日各支部を経て組合員に伝えられた。そして右指令により門司地本におけるストライキ拠点として門司港機関区等の支部が指定され、また門司地本が中央闘争委員会の了承のもとに順法闘争の拠点として直方支部等を指定した。

以上の各指令ないし決定を受けた動労直方支部では同月二四日支部執行委員会を開催し、同委員会を支部闘争委員会に切換え、支部執行委員長杉原幸が闘争委員長に、申請人が同副委員長にそれぞれ就任するとともに、闘争体制を確立した。そして同月二五、二六日には地域集会を行うなどしたのち、同月二七日より順法闘争に入り、その結果後記3のとおりの申請人の行為を含む紛争が順次発生するに至った。なお直方支部の最高責任者であった右杉原委員長は同月二七日ころよりスト拠点である香椎機関区に出向いており、そのため副委員長であった申請人が直方支部における闘争を主導することとなった。

ところで当時動労が順法闘争においてとっていた戦術としては、(イ)労働時間、休憩等の労働基準法の関係では、時間外労働、休日労働の厳格な実施、出退勤時間や休憩時間の厳守、安全衛生規則による点検行動などがあり、(ロ)安全規程、運転取扱心得、検修規程など部内諸規則の関係では、列車制限速度の厳守、入換速度や入換作業内規の厳守、検査修繕の各種規定の完全実施などがあり、(ハ)労働協約や就業規則の関係では、同協約や規則の厳守、作業ダイヤどおりの作業などがあった。

(五) 本件闘争の終結までの経過

動労は同年五月二五日からの順法闘争に引続き同月三〇日には全国的規模で一二時間以上のストライキに突入したのであるが、その前日の同月二九日、EL・DL委員会の委員五名が前記調査報告書の内容について説明するため国鉄労使に対し覚書を提出し、その中で右報告書の趣旨につき「一人乗務の可能性を将来の大筋の方向として示したが、無制限にこれを認めたのではなく、どんな条件の下でも早急かつ広範な一人乗務への移行を推進するよう提案したものではないのであり、保安設備の拡充、労働条件、生活条件の改善向上などを考慮しつつ実績をみながら実施するのが望ましいというものである。」との釈明を行っていた。

これを受けて国鉄労使の間で団体交渉が続けられた結果、同月三〇日前記ストライキ突入後において、労使間で「EL・DLの助士廃止については引続き協議し意見の一致を期するよう努力する。」などの内容で合意に達し覚書が取交わされ、一人乗務制の実施が当面回避されたため、動労は同日午後一一時三〇分にストライキ中止指令を発し、以後のストライキは中止された。

その後も国鉄労使の間で一人乗務制の実施をめぐり交渉が続けられたが最終的な合意に達しないまま、被申請人において同年一〇月一日のダイヤ改正を機に実施を計画したので、動労は国労との共闘により右実施に反対して同年九月末にストライキを行うことを決定し、これを背景に労使間で団体交渉が行われた結果右実施が同年一〇月末まで一カ月持越された。そして同年一〇月末にも動労、国労が一人乗務制の実施に反対してストライキを含む闘争を行ったが、これらと並行して重ねられてきた労使交渉において、同年一一月一日一人乗務制の実施に関しようやく最終的な合意が成立したため、右問題をめぐる長期にわたる労使紛争に決着を見るに至った。

3  申請人の行為(本項では昭和四四年度中のものにつき月日のみ記載)

(一) 一五四号ポイント問題(その一)(五月二七日)

(証拠略)を総合すれば、以下の事実が一応認められる。

五月二七日午後四時四分ころ、直方機関区構内一五三誘導掛詰所に居た同機関区助役渡辺正俊に対し、動労直方支部書記長中川広明が「一五三号ポイントと一五四号ポイントの間の継目板が弛んでいるから補修せよ。」などというので渡辺助役は、中川や折柄来合わせた動労直方支部青年部長森田正之助とともに一五四ポイント付近に赴いた。同所において中川は、一五四号ポイント右側ヒールボルト四本のうち尖端寄りから二本目のボルトを手で動かしたうえ、右ヒールボルトとさらに一本目のヒールボルトがいずれも弛んでいると指摘し、補修しなければ出区させないといって森田と共に線路内に立入り抗議を始めた。

これに対し渡辺助役は、中川らの指摘するヒールボルトは確かに動くが折損しておるわけではなく締めている二重ナットがはずれてもいないので機関車の運行に支障がないものと判断し、「機関車が無事通っているから差支えない。わたしが責任を持つからあんた達は線路の外に出なさい。」といったが、中川らは退去せず抗議を続け、さらに午後四時一五分ころになり組合員五、六名が合流して線路内に立入り抗議を始めた。そのころ直方機関区首席助役松尾友四郎も現場に来て組合員らの説得に当たったが依然として退去しなかった。

そこで渡辺助役は、早期解決の方法として線路保守の担当者に点検を依頼し安全性を確認してもらうのがよいと考え、直方保線支区助役吉原直にその旨連絡した。吉原助役は午後四時二五分ころ現場に到着し、一五四号ポイントのヒール部の各ボルトやナット等を点検した後格別の異状は認められないとして「機関車を通しても差支えない」旨言明した。そこで渡辺助役、松尾首席助役が組合員らに対し「保線の助役さんも支障がないといっているじゃないか。大丈夫だから線路外に出なさい。」などと交々説得したが、組合員らはなおも応じず、右紛争の発生を当時組合事務所に居た申請人に連絡した。

午後四時三〇分ころ右連絡を受けた申請人が現場に到着し、組合員から事情の説明を受けた後自らも線路内に立入り「ボルトを締めさせろ。締めてもらわなければ機関車は通さない。」と抗議を始めた。これに対し松尾首席助役が「今保線の担当者がみて心配ないといったから大丈夫だ。」と述べたが、申請人は「それなら安全だということを一筆書け。」と答え、同助役が「その必要はない。機関車を出すから線路内から退いてくれ。」と説得したが、申請人は線路内から立退かなかった。

かくするうち午後四時四五分ころになり、渡辺助役は中部第一入換機関車の所定出区時刻(午後四時五〇分)が近くなったので、誘導掛日高新に対し所定時刻どおり右入換機関車を出区させるよう指示し、まもなく同誘導掛の誘導により右入換機関車が出区のため一五四号ポイントの手前まで進行して来たが、申請人を始め組合員らが進路前方の線路上に立入っているため、それ以上進行できずその場に停止した。

午後四時五〇分ころになり直方機関区長柴田彦次が現場に到着し、申請人ら組合員に対し線路内から立退くよう説得した。この時申請人は、さらに一五四号ポイント右側リード部の尖端寄りから二番目のチョックの状態を点検すべくこれを靴先で蹴ったところはずれたため、これを手に持ち柴田区長に対し「これでも安全か。」と抗議した。これに対し柴田区長は「大丈夫、責任を持つから退いてくれ。」といい、さらには申請人に近寄り同人の体を抱えるようにしながら線路外に出るよう促したが、申請人は「安全であるという一札を入れない以上立退かない。」などといってあくまで退去することを拒否した。

そのうち日高誘導掛の休憩時間(所定時間は午後五時一〇分から六時一〇分まで)が迫ったので、渡辺助役は日高誘導掛の休憩時間をいったん「午後五時四五分から六時三〇分までと午後八時から八時一五分までとに変更する。」と通告し、さらにその後作業の都合を考え休憩時間を「午後五時四五分から六時二五分までと午後八時から八時二〇分までに変更する。」と通告し、いずれも同誘導掛の了解を得た。

午後五時一〇分ころになり申請人は柴田区長に対し「二つの条件を出すからこれを承知するなら立退く。一、出区線は区長が運転すること、二、渡辺助役が謝罪すること。」と通告し、これに対し柴田区長が「よし俺が運転する。しかし渡辺助役は謝る必要はない。渡辺助役のことは後で話そう。列車が遅れるので早く線路外に出ろ。」と答えたが、申請人は回答が具体的でないなどといって線路内に座り込んだ。そこでさらに柴田区長が説得を続け、申請人も午後五時二八分ころになり紛争を収束しようと考えるに至り、他の組合員らに指示して線路外に立退かせるとともに自らも立退いた。

以上の結果、中部第一入換機関車は所定の出区時刻より三九分遅れて午後五時二九分に直方機関区を出区し、さらにその影響で中部第二入換機関車が所定出区時刻より三二分遅れた午後五時三二分に、中部第三入換機関車が所定出区時刻より三二分遅れた午後五時四二分にそれぞれ直方機関区を出区した。

なお馬場栄保線区長が翌五月二八日直方保線支区助役上田義人に機関区線路の総点検を命じたので、上田助役の指示により担当者が総点検を行ったが、右点検の際、一五四号ポイント付近においてリード部のチョックが一箇所脱落しているのを発見し、同部分に犬釘を一本増し打ちしたほかには運行保安上の問題箇所を認めなかったとされている。

以上の事実が一応認められ、(人証略)及び申請人本人の尋問結果中右認定に抵触する部分は前掲その余の各証拠に照らしてにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで申請人ら組合員が線路保守の不備として指摘したヒールボルトの弛みについて、(証拠略)によれば、軌道整備基準規定一三条二項においてヒールボルトを含む分岐器用ボルトにつき適正な緊締度により緊締し、ち緩しないように努めるものとする旨定められているところ、ヒールボルトは過度に緊締するとポイントの機能を阻害する結果になるためヒールボルトの緊締には若干の遊びが必要であり、本件のヒールボルトの弛みもこの必要な遊びの範囲内のものであったことが一応認められ、従ってヒールボルトの弛みはそもそも線路保守の不備には該らないものと認めるのが相当である。

この点に関し申請人は、本件紛争に際し線路保守の不備として組合側が問題にしたのは一五三号ポイントと一五四号ポイントの間に設置された継目板ボルトの弛みなどであって、ヒールボルトの弛みは当初問題にはしたがすぐ撤回した旨主張するが、これに沿う(人証略)は前掲その余の各証拠に照らしてにわかに措信し難く、むしろ前記認定のとおり、中川らの組合員が渡辺助役に継目板ボルトの弛みを指摘して現場に同行したが、その現場ではもっぱら一五四号ポイントのヒールボルトやその付近のチョックが問題になったに過ぎないと認められるのである。

次に申請人は一五四号ポイント付近において割れたチョックと持ち上げると簡単に抜けるチョックが各一個発見されたと主張するが、(人証略)によれば、チョックは線路の曲線部やポイント部などにおいてレール上を車両が通過した場合に受ける横圧を支える目的で設置されるが、ポイント部において基本レールとリードレールの間に入れるチョックはレールの間隔が狭いため小さく加工して入れており、本件で割れたものと指摘されるチョックは実際には小さく加工したに過ぎないものである可能性が強いこと、またチョックは横圧を支えるものであるから手で持ち上げたり足で蹴るなどの別方向からの力を受けると抜けることもあり得るが、そのような状態にあった場合でも当然に本来の機能を失っていたとはみられないこと、さらにレールに対する横圧を支える目的で犬釘も打たれており、むしろチョックは長期的に線路を保全するためのもので短期的には犬釘のみでも充分目的を達し得るので、例えチョックがその機能を失っても直ちに危険を招来することはないことが窺われる。そうだとすると申請人が指摘するチョックの状態も、不備とはいえないか、少なくとも直ちに補修しなければ機関車の運行に支障を生ずるようなものではなかったと認めることができる。

(二) 誘導掛休憩時間問題(五月二七日)

(証拠略)によれば、次の事実が一応認められる。

五月二七日午後六時二五分を経過したころ日高誘導掛は、右同時刻までと変更指定された休憩時間を終え、第六六七六貨物列車のけん引機関車を出区させるべく東出区四番線の給水柱の東側付近に停止している右同機関車に近付いた(なお同機関車の所定出区時刻は午後六時一七分で既にこれを経過していた)。

このとき付近に居た申請人は、日高誘導掛の休憩時間を午後六時三〇分までであると誤信していたため、森田と共に右同機関車の進路上に立入ったうえ、居合わせた柴田区長らに対し誘導掛が休憩時間中であるのになぜ就業させるかなどと抗議を始め、柴田区長らが日高誘導掛の休憩時間は午後六時二五分までと変更されていることを説明し説得した結果、午後六時二七分ころ申請人らは線路内から立退いた。

そこで前同機関車は所定出区時刻を一二分遅れて午後六時二九分に直方機関区を出区した。

以上の事実が一応認められ、申請人本人の尋問結果中右認定に抵触する部分は前掲その余の各証拠に照らしてにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(三) 西転車台問題(五月二八日)

(証拠略)を総合すれば、以下の事実が一応認められる。

五月二八日午前一〇時五〇分ころ直方機関区構内西転車台付近において、動労直方支部書記長中川弘明を始め組合員一五、六名が集まり転車台軌条と庫線軌条(庫三番線)との遊間(正確には「間隙」というが以下便宜「遊間」と指称する)が開き過ぎているとして(組合員の実測によれば右遊間は約八〇ミリメートルであった)、その場に来合わせた柴田区長や松尾首席助役、渡辺正俊助役らに対し抗議を始めた。これに対し柴田区長らは右軌条の遊間が平常の状態とさして変わりがなく機関車の運行に支障がないといって組合員らに線路内から立退くよう要求したが、組合員らはこれに応じなかった。

そこで渡辺助役らは第二三七一貨物列車のけん引機関車を先に出庫させることにして、転車台を回転させて庫一〇番線に合わせた。このとき組合員二、三名が転車台上に乗り付近を点検したうえ、歩み板取付ボルト一本が弛み、またレール押えボルト二本が、その下部に付けられたナットが脱落して持ち上げると抜ける状態にあることを発見したため、その旨柴田区長らに指摘して危険であるから直ちに補修するよう要求した。

そして午前一一時一〇分ころ申請人が組合員からの連絡により現場に到着し、組合員から事情を聞くや、直ちに柴田区長らに対し「見てみい、ボルトが弛んでいるぞ、すぐ修繕しろ。」などと激しく抗議を始めた。これに対し柴田区長らは機関車が通るには危険はないものと判断してその旨説明し、機関車を通すために線路内から退去するよう説得したが、申請人はそのころ庫一〇番線上を右転車台手前付近まで逆行で出庫して来ていた前記けん引機関車のテンダー右側の階段に腰をかけ、補修しなければ絶対に機関車を出庫させない旨言明した。

そのとき渡辺助役は保線担当者に西転車台を点検させようと考え直方保線支区に連絡した結果、午前一一時三〇分ころ同保線支区助役上田義人と保線区助役毛利正が右転車台に到着した。上田助役らはまず問題になっている転車台軌条と庫線軌条(但し庫一〇番線に移し変えられている)との遊間を点検したところ、右遊間は目測で約七〇ミリメートルであったが、この程度では機関車の運行に危検はないものと判断しその旨説明した。しかし申請人は上田助役に対し「大丈夫じゃないじゃないか、これだけ広いじゃないか。」などと激しく抗議し、さらに「大丈夫であるというなら一札入れろ。」と要求したのに対し、上田助役は「一札入れる必要はない。」などと答え押し問答となった。

さらに上田助役は組合員らが指摘する転車台歩み板取付ボルト一本とレール押えボルト二本を点検し、右ボルトが抜ける状態にあることを確認したが、レール押えボルトは同一箇所において内軌側に三本、外軌側に六本設置されており、抜ける状態にあるのはそのうちの内軌側の二本であってその余のボルトには不備はなく機関車が低速で通過することなどからして、その余のボルトのみでも短期的にはレールの浮き上がり等を防止する機能は果たし得るから、右程度の不備があっても直ちに機関車の運転に支障はないものと判断した。また歩み板取付ボルトについては、歩み板を転車台桁に固定しているに過ぎないものであるから、これが抜ける状態にあっても機関車の運行に何ら影響はないものと判断し、「大丈夫である。」との言明を行った。

これを受けて柴田区長らは申請人に対し「専門屋が見て安全だといっているから大丈夫だ。」などと述べて線路内から退去するよう求めたが、申請人は納得せず退去要求に応じなかった。

この間上田助役らが「この二年間転車台での事故は一回もない。」といったのに対し、申請人が「事故がないというのは嘘でこの二カ月間に三回も脱線事故が起きている。」と応酬する場面も見られた(ちなみに右転車台の付近で過去二カ月内に二回軽微な脱線事故が起きていたが、その原因は転車台設備の不備ではなく、転車台に続く庫線の状態に起因するものであった)。

午前一一時四〇分ころになり直方保線支区検査長花田隆が来合わせたが、申請人と花田検査長との間でも転車台の安全問題につき前同様の押し問答が行われた。

かくするうち、午前一一時四五分ころ鉄道公安官一五、六名が右現場近くにやって来て、転車台上や付近の線路内に立入っている組合員に対して退去するよう要求した。

これに対し申請人は、労使で話合いの最中であるのに公安官が介入するのは不当であるとしてたやすく要求に応じなかったが、午前一一時五五分ころになり公安官と組合員とが衝突する事態となるのは避けるべきものと考え、「公安官と黄腕章が退けば組合側も退く。」旨通告し、これに応じて公安官が退いたので申請人も組合員らに指示して転車台付近から立退かせた。

以上の結果、第二三七一貨物列車けん引機関車は所定出区時刻の午前一一時二分を五八分遅れて正午に直方機関区を出区したのを始め、その影響により第一八五貨物列車けん引機関車が三六分遅れて午後〇時七分に、第六八〇貨物列車けん引機関車が七九分遅れて午後〇時四五分に、中部第一入換機関車が八五分遅れて午後一時にそれぞれ直方機関区を出区し、さらに第二三七一貨物列車がけん引機関車の出区遅延により四〇分遅れて午後〇時七分に直方駅を発車し、同様の事情で第一八五貨物列車が四一分遅れて午後〇時三七分に、第六八〇貨物列車が一〇九分遅れて午後一時四五分にそれぞれ直方駅を発車し、また第六六七一貨物列車はその到着すべき二番線が第二三七一貨物列車の発車遅延により塞がっていたため、一九分遅れて午後〇時一八分に直方駅に到着した。

以上の事実が一応認められ、(人証略)中右認定に反する部分は前掲その余の各証拠に照らしてにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで申請人は、本件で転車台軌条と庫線軌条との遊間が機関車転車台限度表なるものに定められたところの六〇ミリメートルの限度を越えて広く開き過ぎていた旨主張するが、成立に争いのない(証拠略)によれば、昭和四三年一〇月一七日ころ当時門司鉄道管理局施設部機械課長であった永徳呉久次が、転車台の各種設備の基準につき管内の各機械区長に検討し意見を出させるべく、そのたたき台として申請人が指摘する機関車転車台限度表を作成し配付したことがあるが、その後そのままで沙汰止みになってしまっており、未だ規程として成立したものではなかったことが一応認められ、従って右限度表の定める基準に適合しなかったとしても法的には意味がなく、むしろ実質的に機関車の運行に危険があるか否かが問題とされるべきところ、本件においてこのような転車台設備などの安全保持に関し専門的な知識経験を有する保線担当者らが前記認定のとおり転車台軌条と庫線軌条の遊間の状態を現認したうえ安全性を肯定しているうえ、(人証略)も門司鉄道管理局保線課長の立場で、その専門的知識、経験に基づき本件の軌条の遊間につき機関車の運行に支障はないものとの証言をしており、さらに従前右軌条の遊間の開き過ぎにより機関車の運行に支障を生じた形跡も本件証拠上見当たらないから右遊間の状態は不備とはいえないか、少なくとも直ちに補修しなければ機関車の運行に危険を生ずるような状態にはなかったものと認めることができる。

またレール押えボルト及び歩み板取付ボルトの不備について、(人証略)はそれぞれ保線に関する専門的知識、経験に基づき、転車台レールには安全性に余裕を持たせて多数のレール押えボルトが使用されていて、本件の如く一部のボルトに不備を生じても直ちに危険を生ずるものではないこと、また歩み板取付ボルトの不備は機関車の運行に影響はないことなどの証言をしており、前記認定の上田助役の判断をも併せ考えると、右各ボルトの不備は然るべき時期に補修すべきものであろうが、しかしながら直ちに補修しなければ機関車の運行に危険を生ずるものでもなかったと認めることができる。

(四) 八番線食事時間問題(五月二八日)

(証拠略)を総合すれば、以下の事実が一応認められる。

五月二八日午後〇時二〇分ころ、直方駅操車係石橋住男が同駅構内八番線に到着し留置中の第六一八四貨物列車の貨車を入換するために、中部第二入換機関車を右貨車に連結した。このとき動労直方支部教宣部長田中道博や青年部長森田正之助ほか五名位の組合員が八番線に来て右入換機関車の田中幸利機関士に対し昼食を済ましているか否かを尋ね、同機関士がまだであると答えるや、今からすぐ食事をするよう指示した。そして午後〇時二五分ころより右組合員らが右入換機関車の前方線路内に立入り、またその五分後には申請人らもこれに加わり、申請人が中心となって、居合わせた直方機関区助役数山登や直方駅助役渡辺頼介らに対し「乗務員にめしを食わせろ。」「食事時間を設定しろ。」と抗議を始めた。これに対し渡辺頼介助役らは「業務に支障があるので退去して下さい。」と要求し、さらにその後直方駅首席助役山本学らも現場に来てそれぞれ申請人らに退去するよう通告したが、申請人らは「何いうか。お前達は、食事時間の設定を知っちょるか。」「乗務員にめしを食わせずに働かせるつもりか。」「食事時間を明確にしろ。」などと抗議を続けて線路内から退去しようとしなかった。

かくするうち、午後〇時四五分ころになり鉄道公安官一五、六名が現場に到着し、申請人らに対し任意に退去しない場合には実力を行使する旨通告したが、申請人らが応じなかったため、午後〇時五五分ころになり公安官が申請人らを実力で排除すべく突入し、申請人らは強いて抵抗することなく八番線より退去した。

以上の結果中部第二入換機関車は予定の午後〇時二五分より三一分遅れて入換を開始し、さらに右入換が行われるまでの間八番線が前記第六一八四貨物列車で塞がっていたため、八番線に到着すべき第二二二九旅客列車が所定時刻の午後〇時一一分三〇秒を五〇分三〇秒遅れた午後一時二分に直方駅に到着し、また同様の事情で第一七三〇旅客列車が所定時刻の午後〇時五六分を三八分遅れて午後一時三四分に同駅に到着した。

以上の事実が一応認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで動力車乗務員の食事時間の取扱いについて、成立に争いのない(証拠略)によれば、動力車乗務員の食事時間の取扱いをめぐり国鉄労使間でかねて交渉が続けられ、本件当時労使間の協定として、昭和四〇年四月一日付の「動力車乗務員の乗務割交番作成に伴う勤務の基準に関する協定」五条において「乗務員の仕業作成の際業務の実態を勘案のうえ食事をとり得るよう考慮する。」と定められ、また右協定の付属了解事項3として「乗務員の食事がとれるよう双方で検討し、具体的措置については引続き協議する。なお特に入換仕業の乗務員の食事時間については仕業作成の際十分配慮する。」と定められていたこと、そして右中央協定を受けて門司鉄道管理局と動労門司地本との間の協定として、昭和四四年四月二日付の「昭和四四年四月時刻改正等に伴う労働条件に関する了解事項」において「入換仕業の乗務員の食事時間については中央了解事項(40・4・1)の精神を尊重して取扱う。」と定められたこと、そして本件当時直方機関区においても入換機関車の乗務員の仕業作成の際には右協定事項を尊重して作業ダイヤ中に食事をとり得る間合いを設ける配慮がなされており、現に申請人らが抗議した中部第二入換機関車の作業ダイヤにおいては、午前一一時一〇分から一一時四〇分までの乗り継ぎ時間、あるいは午後一時四〇分から二時一〇分までの時間が食事をとり得る間合いとして配慮されており、申請人らが抗議を始めた時間である午後〇時二五分から午後一時までは第六一八四貨物列車の入換をすべきことも右作業ダイヤ上明記されていたのであり、以上の作業ダイヤの内容は申請人ら組合員も知悉していたこと(このことは、申請人らが関与して作成した「入換専用機順法行動実施要項」と題する順法闘争の戦術を記載した書面に、順法行動として入換機関車乗務員は午前一一時から午後一時までに食事をとることとする旨の記載がある一方、中部第二入換機関車の作業ダイヤが明記され、かつその作業ダイヤにおける食事時間が「午後一時四〇分から二時まで」と記載されていることから明らかである)などの事情が一応認められる。

しかして、申請人は、本件において中部第二入換機関車の乗務員の食事時間に関して抗議を行った根拠として、昭和四三年九月に動労直方支部と直方運輸長との間で食事時間を社会常識上の時間帯である七時、一二時、一八時の前後各一時間の範囲に設け、右時間帯に設けられないときは協議して別に設定するとの確認がなされていたことを主張し、(人証略)中には右主張に沿う部分があるが、しかしながら前掲その余の各証拠及び弁論の全趣旨に照らすと、作業ダイヤ作成の担当者である数山助役でさえ右の如き確認事項の存在につき報告を受けておらず、もとよりこれを実施したこともないこと、また右の如く食事時間の取扱いにつき中央の労使協定を超える重要な内容の確認がなされたというにもかかわらずこれを明示する文書が作成された形跡がないこと、あるいは食事時間の設定は運輸長の権限に属しないことなどの事情が窺われ、従って申請人の右主張については、動労直方支部組合員と直方運輸長との間でその主張の時期に食事時間に関し何らかの話合いが持たれたことまでは否定できないにしても、その話合いにより労使間の協定と評価し得るような確定的合意が成立したとの点はにわかに是認し難いところであり、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

しかるところ、申請人らが抗議の対象とした中部第二入換機関車については前記のとおりの作業ダイヤが作成され、食事時間についても当時の労使間の協定に基づいた配慮がなされかつこのことを申請人らも知悉していたのであるから、申請人らの抗議は何らの根拠がないものというべきである。

(五) 一〇番線食事時間問題(五月二八日)

弁論の全趣旨により成立を認める(証拠略)によれば、以下の事実が一応認められる。

前記のとおり中部第一入換機関車が西転車台問題の影響により所定出区時刻より八五分遅れ午後一時に出区したので、直方駅操車係田原一志は、一〇番線に到着し留置中の第二六二貨物列車の貨車を入換すべく、午後一時五分ころ右入換機関車を右貨車に連結したうえ、午後一時一六分ころ右入換機関車の誘導を開始しようとした。このとき申請人及び田中道博、森田正之助ほか数名の組合員が右入換機関車前方の線路内に立入り、居合わせた渡辺頼介助役や数山助役らが線路内から退去するよう要求すると、申請人は「乗務員の食事時間はどうなっているか。」「さっき公安が実力を行使したので食事時間の問題が解決するまで退かんぞ。」などと応酬した。その後柴田区長や直方駅山本首席助役らも現場に来て、申請人らに退去を要求したが、申請人は「めしも食わせず作業をしろとは人道問題だ。」「めしを食わせろ。」「公安を突込ませたのは誰か。」などの言辞をもって抗議を続けた。

その間午後一時二八分ころ柴田区長が乗務員から事情を聞くべく右入換機関車の運転室に上がろうとしたが組合員の田中道博に妨げられ、そのすきを見て数山助役が運転室に上がり機関士原園篤美に「食事は済んでいるか。」と尋ねたところ、同機関士が済んでいる旨答えたので、これを受けて柴田区長が申請人らに対し、乗務員の食事は済んでいるから妨害行為を止めるよう要求したが、申請人らはこれに応じなかった。

午後一時五六分ころになり、付近で待機していた鉄道公安官一五、六名が申請人らに対し線路外に退去しなければ実力で排除する旨通告したところ、申請人が「公安と黄腕章が退けば俺達も退こう。」と答えたので、公安官らが後方に後退し、続いて午後二時二分ころ申請人ら組合員も線路内から退去した。

以上の結果中部第一入換機関車は予定より約四八分遅れて午後二時四分に入換を開始した。

そして右入換機関車の出区遅延と右入換開始の遅延とが重なったため、右入換機関車の所定作業である第九六二貨物列車の入換及び第四二九旅客列車の整理を行うことができず、さらに一〇番線が第二六二貨物列車で塞がっていたため、同番線に到着すべき第四六四貨物列車が所定時刻の午後〇時三四分を一一〇分遅れて午後二時二四分に直方駅に到着した。同様に第九六二貨物列車が九番線を塞いでいたため同番線に到着すべき第八六四貨物列車が所定時刻の午後〇時四三分を一二二分三〇秒遅れて午後二時四五分三〇秒に直方駅に到着した。なおまた第四六四貨物列車のけん引機関車が第四六七貨物列車のけん引機関車として引継がれるべきところ、前者が到着遅延した結果けん引機関車の引継ぎが遅れ、そのために後者が所定時刻の午後二時一分を六三分遅れて午後三時四分に直方駅を発車した。

以上の事実が一応認められるところ、(人証略)中には、申請人を始めその他の組合員のいずれも右認定の如き紛争に関与した事実はなく、右紛争は被申請人がでっちあげた架空の事件である旨一致して述べる部分がみられるのであるが、これらは、前掲その余の各証拠(右紛争の経過及び申請人の言動等が極めて具体的かつ詳細に表現されている)に照らしてにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(六) 一五四号ポイント問題(その二)(五月二八日)

(証拠略)によれば、以下の事実が一応認められる。

五月二八日午後四時五〇分ころ中部第一入換機関車が出区するため直方機関区構内一五四号ポイントの手前約一〇メートルの付近まで進行して来たところ、申請人及び田中道博、森田正之助ら組合員五、六名が右入換機関車前方の線路内に立入り、付近に居た数山助役に対し「一五四号ポイントのボルトが昨日のままでようなっちょらんではないか。」「早く締めろ。」などと抗議を始めた。これに対し同助役は前日と同様「安全だから退け。」と線路内から退去するよう要求したが、申請人は「それじゃあ安全ということを一札書け。」といって応じなかった。

さらにそのころ現場に到着していた柴田区長や渡辺正俊助役も「安全である。」などといって説得に当たったが、申請人らは納得せず、そのため右入換機関車は一五四号ポイントの手前に停止したまま進行できなかった。

そして午後五時一〇分になり右入換機関車の誘導掛森田定松が所定の休憩時間(午後五時一〇分から午後六時一〇分まで)に入ったので、右誘導掛が一五三誘導掛詰所に引き揚げたところ、午後五時二〇分ころ申請人ら組合員も線路内から退去して引き揚げた。

その間渡辺正俊助役は柴田区長と相談のうえ、森田誘導掛の休憩時間を変更して右入換機関車を早急に出区させるべく右誘導掛に変更を通知しようとして右誘導掛詰所に赴きかけたが、国労筑豊支部の浜野委員長から休憩時間を度々変更するのは不当であるとして激しく抗議を受けたため、再度柴田区長と相談に戻った。しかし、やはり休憩時間の変更は止むを得ないとの結論になったので、午後五時五五分に一五三誘導掛詰所に赴き、森田誘導掛に対し、「休憩時間を午後五時一〇分から五時五五分までとし、残り一五分間は午後七時二〇分から七時三五分までとする。」旨通告したうえ、直ちに右入換機関車を出区させるよう指示した。

以上の結果、中部第一入換機関車は所時時刻の午後四時五〇分を七四分遅れて午後六時四分に出区し、さらにその影響により中部第二入換機関車が所定時刻の午後五時を六九分遅れて午後六時九分に、中部第三入換機関車が所定時刻の午後五時一〇分を六五分遅れて午後六時一五分に、第六六七六貨物列車けん引機関車が所定時刻の午後六時一七分を一六分遅れて午後六時三三分にそれぞれ出区した。

そしてまた中部第二入換機関車の出区遅延のために、六番線に到着し留置中の第二五四貨物列車の貨車の入換が遅延し、そのため同番線に到着すべき第二七四貨物列車は所定時刻の午後六時二二分を六〇分遅れて午後七時二二分に直方駅に到着した。さらに同様に中部第三入換機関車の出区遅延により九番線に到着し留置中の第四六六貨物列車の貨車の入換が遅延したため、第四六八貨物列車が所定時刻の午後六時三分を六〇分遅れて午後七時三分に到着し、またその後続列車である第八六六貨物列車が所定時刻の午後四時五六分三〇秒を一九八分三〇秒遅れて午後八時一五分に、第八六八貨物列車が所定時刻の午後七時五五分三〇秒を一〇六分遅れて午後九時四一分三〇秒にそれぞれ到着した。なおまた、第四六八貨物列車のけん引機関車が第二三七三貨物列車のけん引機関車として引き継がれるべきところ、前者の到着遅延により後者も所定時刻の午後六時五〇分を四四分遅れて午後七時三四分に発車し、また右発車まで右貨物列車が三番線を塞いでいたため、同番線に到着すべき第六七三貨物列車が所定時刻の午後七時一一分三〇秒を三三分遅れて午後七時四四分三〇秒に到着した。また第六六七六貨物列車がそのけん引機関車の出区遅延により所定時刻の午後六時五七分を一八分遅れて午後七時一五分に発車した。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(七) 作業ダイヤ変更問題(五月二八日)

(証拠略)によれば、以下の事実が一応認められる。

五月二八日午後四時四〇分ころ直方駅運転掛辻義晴は、第一八六貨物列車が午後四時一〇分に到着後一〇番線に留置されたままこれを塞いでおり後続列車が同番線に到着できない状況にあるため、早急に右貨物列車の入換をなすことが必要となったので、本来右入換作業は中部第三入換機関車の担当であったがこれより先に出区してくる中部第一入換機関車をもって右入換作業をなさしめるべく、同駅操車掛山本早馬にその旨を命じた。しかして中部第一入換機関車は前記(六)の紛争により出区が遅延し午後六時四分に出区して来たので、右操車掛が右入換機関車を第一八六貨物列車の貨車に連結したところ、申請人及び田中道博ら組合員約八名が右入換機関車の前方線路内に立入ったうえ、付近に居た柴田区長、数山助役や直方駅助役林茂利らに対し、「この入換機関車のする作業じゃないじゃないか。」「入換作業の段取りを示すまでは駄目だ。」「後の入換計画を示せ。示したら作業をさせる。」などいって抗議し、柴田区長らが線路内から退去するよう要求するも応じようとしなかった。

そのため午後六時二〇分ころ林助役らが作業計画の見通しを立てるため上り運転室に赴き、列車の運行状況を調査したのち再び一〇番線の紛争現場へ戻る途中、午後六時三〇分ころ九番線を通りかかった際、同番線に中部第三入換機関車が停止しその前方線路内に田中道博ほか五、六名の組合員が立入っていたが、田中において林助役に対し調査の結果の確認を求めたので同助役が中部第一入換機関車は第一八六貨物列車の入換を行った後は所定の作業を行う旨答えたところ、田中は「よしわかった。」と答えて他の組合員らと共に線路内から退去し、これと同時に一〇番線の線路内に立入っていた申請人らも退去するに至った。

以上の結果、中部第一入換機関車は予定より約二四分遅れて午後六時三四分に入換を開始した。

また右入換機関車は出区遅延及び入換開始遅延を併せ九八分の遅延を生じたため、一〇番線に留置中の第一八六貨物列車の入換が遅れ、その結果同番線に到着すべき第九六八貨物列車が所定時刻の午後五時三二分を一一〇分遅れて午後七時二二分に直方駅に到着し、さらに後続する第一七六八貨物列車が所定時刻の午後八時五三分を六三分遅れて午後九時五六分に、同様に第六七八〇貨物列車が所定時刻の午後九時三六分を九六分遅れて午後一一時一二分にそれぞれ到着した。

以上の事実が一応認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで申請人は、被申請人において本来の作業手順と異なる作業を命ずる以上作業量の調整をあらかじめ明示すべきであったのにこれを怠ったために前記紛争を生ぜしめた旨主張するが、(人証略)によれば、通常入換機関車の作業は所定の作業ダイヤに基づいて行われるが、労働組合の闘争や事故などの原因で列車の運行が混乱した場合には、被申請人においてその時々の列車の運行状況などに即応して随時作業ダイヤの変更を行っていたもので、作業ダイヤの変更に伴う作業量の調整も必要に応じて適宜行われていたことが認められるところ、作業ダイヤを変更した場合にはこれにより作業量が過重となることのないよう被申請人において配慮すべきものではあろうけれども必ずしもあらかじめ作業量を調整せずとも作業遂行の過程で適宜右調整を行っても差支えないものと考えられるし、また本件において申請人らが作業量の調整があらかじめ明示されなかったことに不満を抱いたとしても、被申請人に対し平穏裡に右調整につき説明を求めれば足りたはずであって、本件の如く業務妨害の行為に出ることは少なくとも手段において相当性を欠くものといわねばならない。

4  本件順法闘争による影響

申請人の行為を含む動労直方支部による本件順法闘争の影響により、前記認定の如く直方機関区及び直方駅において入換機関車等の出区、入換開始等の遅延、あるいは旅客・貨物列車の発着等の遅延が生じているところ、申請人は右遅延には本件順法闘争以外の原因によるものが多々含まれていると主張するので、以下申請人の主張する他原因につき順次検討する。

(一) 申請人はまず、特急かもめの優先的運行による影響、特に第一七三〇旅客列車の到着遅延についての右影響を主張するところ、(証拠略)によれば、昭和四四年五月二八日特急かもめは直方駅に所定到着時刻の午後一時一二分より一五分遅れの午後一時二七分に到着したが、この遅延は申請人らの本件順法闘争とは無関係で、他地区での動労による闘争などの影響を受けたものとみられること、そして第一七三〇旅客列車の直方駅への所定到着時刻は午後〇時五六分で本来特急かもめより先着すべきであるのに当日は特急かもめより遅れて午後一時三四分に到着しており、これは被申請人が特急列車優先の方針に従い本来先着すべき第一七三〇旅客列車を直方駅手前で待避させ特急かもめを先行させる措置をとった結果であろうことが一応認められ、従って右のような特急優先措置が第一七三〇旅客列車の遅延にある程度影響を与えているものと推定できるのであるが、しかしながらそもそも特急優先措置自体はその性質上止むを得ないものであるうえ、前記3(四)に認定の事実経過に照らして明らかなように、第一七三〇旅客列車は第一次的には申請人らの闘争の直接の影響で直方駅への到着が遅延し、その時間の経過によりさらに後続して来た特急かもめを先行させるため待避させられる結果となったもので、第一次的な遅延がなければ右の如き特急優先措置の皺寄せを受けることもなかったであろうと推認し得るのであり、そうだとすると、第一七三〇旅客列車の遅延は全て申請人らの本件闘争に直接・間接に起因しており相当因果関係があるものと認めることができる。

(二)(1) 次に申請人は、第四六四、第八六四の各貨物列車が本来は第一七三〇旅客列車、特急かもめ、第一七三四旅客列車より先に直方駅に到着すべきであるのに、当日は右各列車より遅れて到着しており、これは旅客列車優先措置の影響で右各貨物列車が遅延したことを示していると主張するが、前記3(五)に認定の諸事実に照らすと、右各貨物列車は第一次的には申請人らの闘争の直接の影響で直方駅に進入することができず遅延し、その結果後続の右各旅客列車を先行させるためさらにその間待避していなければならなくなり遅延が増幅されることとなったものと推認し得るところ、旅客列車優先措置自体はその性質上止むを得ないであろうから、前記各貨物列車の遅延がある程度右措置の影響を受けているとしても、結局は申請人らの本件順法闘争に直接・間接に起因しているものと認められ、仮に旅客列車優先措置がとられなければ、申請人らの本件闘争が貨物列車に与える影響は軽減するが、その分だけ旅客列車への影響が増大する結果となったであろうと想像されるのである。

(2) また申請人は第四六四、第八六四の各貨物列車の遅延につき、当日直方駅八番線が午後一時三四分から午後二時二〇分まで四六分間も空いており、同番線に右各貨物列車を到着させることができたはずであるのに被申請人においてこれをせず漫然遅延させたかの如く主張するが、(証拠略)によれば、直方駅の八、九、一〇番線(いずれも筑豊線上り)のうち、八番線は旅客列車用で、九、一〇番線が貨物列車用であること、当日第四六四、第八六四の各貨物列車はその到着すべき九、一〇番線が塞がっていたため直方駅より手前の駅で待機していたこと、他方八番線は当日午後一時三四分に第一七三〇旅客列車が到着して以後午後二時二〇分に第一七三四旅客列車が到着するまで四〇分余りの間合いがあったが、当日は列車の運行が混乱しており、例えば第一七三四旅客列車は本来午後二時一分に到着すべきところ当日遅着したもので、このような中で偶々右の如き間合いが生じたものであることが一応認められる。

そこで考えるに、そもそも八番線は旅客列車用に確保されるべきものであるし、また仮に旅客列車の発着の間合いを利用して貨物列車用に転用することが許されるとしても、その場合には旅客列車の運行を阻害することのないよう充分な配慮が必要であると思われるところ、本件の如く列車の運行が混乱した状況において結果的に四〇分余りの間合いが生じたとしても、これを事前に確知し貨物列車の処理に転用する計画をたて得たかが疑問であるし、また右程度の間合いで果たして二本の貨物列車(あるいはいずれか一本の貨物列車に限定するとしても)を処理することが可能であったかも疑問となるが、申請人本人の尋問結果によるも右疑問を解消するに至らない。以上によれば、被申請人が八番線を前記各貨物列車の処理に転用しなかったことが直ちに合理性を欠くものとは認め難く、右貨物列車の遅延につき被申請人が責任を負うべきものとする申請人の主張は採用できない。

(三) さらに申請人は、第二二二九旅客列車の到着遅延につき、被申請人が右旅客列車の到着すべき八番線に第六一八四貨物列車を先着させたうえそのまま放置したことがその主たる原因で申請人には責任はない旨主張するところ、(証拠略)によれば、第六一八四貨物列車は本来午後〇時一一分に直方駅の貨物列車用上り線である九番線ないし一〇番線に到着すべきであり、また第二二二九旅客列車は本来午後〇時二分三〇秒に旅客列車用上り線である八番線に到着すべきところ、当日の右時刻ころ九番線、一〇番線はいずれも貨物列車が留置されていて進入することができなかったため、直方駅では渡辺頼介助役において午前一一時四五分ころ第六一八四貨物列車を直方駅手前の小竹駅で待避させようとして同駅との間で折衝したが、同駅側が右貨物列車を臨時停車させる時間的余裕がない旨返答したため、止むを得ず右貨物列車を直方駅八番線に到着させることとし、その結果右貨物列車は午後〇時一五分に八番線に到着したことが一応認められ、その後右貨物列車の入換が午後〇時二五分から開始されようとしたが申請人らの妨害行為により三一分遅れ、そのため結果的に第二二二九旅客列車は到着すべき八番線が右貨物列車により塞がれていたことにより五〇分三〇秒遅れて直方駅に到着したことは前記3(四)のとおりである。

右事実によれば、被申請人が第六一八四貨物列車を直方駅手前で待避させることができずこれを八番線に到着させたことが第二二二九旅客列車の遅延の原因の一つになっており、この原因による遅延について被申請人に責任があるか否かはともかく、少なくとも申請人が責任を負うべき理由はないことは申請人の主張のとおりである。しかしながらまた、申請人らの妨害行為により右貨物列車の入換が三一分遅れたことはそのまま第二二二九旅客列車の遅延につながったものと認められるので、右の限りで申請人は責任を免れない。

(四) また申請人は当日特急かもめや第一七三四旅客列車の如く申請人らの闘争とは無関係に遅延を生じていた列車があることから、他地区での動労による闘争の影響により旅客列車全体に三〇分近くの遅れが生じていたとして、第二二二九旅客列車や第一七三〇旅客列車の遅延についても三〇分程度割引いて申請人らの闘争の影響を考えるべきであると主張するが、当日他地区で動労による闘争が行われていたとしても、これにより個々の列車が受ける影響は、各列車の運行時刻や運行経路その他の条件の違いによって自ら異なるはずであるから、申請人の主張にはにわかに左袒し難い(なおちなみに第一七三四旅客列車は一九分の遅延であることが前記(三)の認定事実から認められ、従って申請人がその主張において右旅客列車の遅延を二九分としているのは明らかな誤りである)。

(五) なお申請人は前記3(六)記載の一五四号ポイント問題(五月二八日)での申請人らの闘争の影響に関して、入換機関車の誘導掛が休憩時間に入りその間入換機関車が出区できなかったことについては作業手順上の問題、あるいは被申請人の休憩時間変更の不手際が原因であって申請人らの行為と無関係であると主張するが、前記3(六)に認定の事実経過に照らすと、申請人らが入換機関車の出区妨害を続けた結果、誘導掛の休憩時間が到来し出区不能な状況を招来したのであり、また被申請人は右休憩時間を変更するため相応の努力を尽しており格別の不手際があったとは認め難いから、右休憩時間中の遅延を含め右入換機関車の出区遅延は全て申請人らの闘争と相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

以上のとおり申請人の主張は前記(三)に説示した点を除いてはいずれも理由がなく、前記認定説示の諸事情に徴すると、前記3に摘示した入換機関車の出区遅延や旅客・貨物列車の発着遅延などの業務阻害の結果の殆んどは、申請人らの本件闘争と相当因果関係が存することを肯認し得る。

二  本件懲戒免職の効力

1  懲戒事由の存在

被申請人は申請人の行為が職員として著しく不都合な行為であって国鉄法三一条一項一号などの懲戒規定における懲戒事由に該当する旨主張するので、以下検討する。

(一) まず国鉄法三一条一項一号によれば、被申請人総裁は職員が同法又は被申請人の定める業務上の規定に違反した場合に免職を含む懲戒処分をなし得る旨定めており、さらに成立に争いのない(証拠略)によれば、国鉄就業規則六六条及び動労と被申請人との間で締結された「懲戒の基準に関する協約」一条は、いずれも一号から一七号にわたる具体的かつ詳細な懲戒事由を列挙しているが、その内容は共通しており、いずれも一七号として「著しく不都合な行いのあったとき」との懲戒事由を定めていることが一応認められる。

なお、右国鉄就業規則等の懲戒規定はその内容等に照らし、国鉄法上の懲戒規定を基礎にこれを具体化したものと解するのが相当である。

(二) そこで本件における申請人の行為が「著しく不都合な行いのあったとき」との懲戒事由に該当するか否かを以下検討する。

(1) 一五四号ポイント問題(その一)(五月二七日)について

申請人は他の組合員とともに線路保守の不備を理由に線路内に立入り入換機関車の出区を妨害したものであるが、当日申請人らが不備として指摘した箇所は実際には格別の不備とは認められないか、あるいは軽微な不備で直ちに機関車の運行に支障を来す虞れはなかったのであるから、申請人の右行為はその目的もしくは少なくとも手段において相当性を欠くものと評価せざるを得ない。

(2) 誘導掛休憩時間問題(五月二七日)について

申請人は他の組合員一名とともに誘導掛の休憩時間が終了していることを知らず、休憩時間中にかかわらず作業を開始したものと誤信して抗議のため線路内に立入り機関車の出区を妨害したものであり、二分程度の短時間のこととはいえ、被申請人の正常な業務の遂行を不法に妨害したことは明らかである。

(3) 西転車台問題(五月二八日)について

申請人は他の組合員多数とともに西転車台の設備の不備を理由に線路内に立入るなどして機関車の出区を妨害し、ひいては数本の貨物列車の発着の遅延を招来したものであるが、当日申請人らが不備として指摘した箇所は実際には格別不備とは認められないか、あるいは軽微な不備で直ちに機関車の運行に支障を来す虞れはなかったから、申請人の右行為はその目的もしくは少なくとも手段において相当性を欠くものと評価せざるを得ない。

(4) 八番線食事時間問題(五月二八日)について

申請人は入換機関車乗務員の食事時間の確保を要求して組合員数名とともに線路内に立入り入換機関車の入換開始を妨害し、ひいては旅客列車二本の到着遅延を招来したものであるが、被申請人において乗務員の食事時間につき当時の労使間の労働協約等で要求された限りの配慮をしていたことなどからして、申請人の右行為はその目的及び手段のいずれにおいても相当性を欠くものといわねばならない。

(5) 一〇番線食事時間問題(五月二八日)について

申請人は他の組合員数名とともに前記(4)と同様入換機関車の乗務員の食事時間の確保を要求して線路内に立入り入換機関車の入換開始を妨害し、ひいては貨物列車数本の発着を遅延せしめたものであるが、当該乗務員が既に食事を済ませていたことなどからして、申請人の右行為がその目的、手段とも相当性を欠いていることは明らかである。

(6) 一五四号ポイント問題(その二)(五月二八日)について

申請人は他の組合員らとともに、前日指摘した線路保守の不備につき当日になっても補修がなされていないとの理由で線路内に立入り入換機関車の出区を妨害し、ひいては貨物列車の発着の遅延等を招来したものであるが、前記(1)と同様の理由で申請人の右行為は相当性を欠くものといわねばならない。

(7) 作業ダイヤ変更問題(五月二八日)について

申請人は他の組合員数名とともに、入換機関車の作業ダイヤが変更されたことにつき爾後の作業計画を示すよう要求するなどして線路内に立入り入換機関車の作業を妨害し、ひいては貨物列車の到着遅延を招来したものであるが、申請人の右行為はその目的の相当性において疑問があるし、少なくとも手段につき相当性を欠くことは前記3(七)で説示したとおりである。

以上のとおり、申請人の本件における行為はいずれの問題に関してもその目的ないし少なくとも手段において相当性を欠いており、よって申請人は被申請人の正常な業務の運営を不法に阻害したものとして責任を免れないところ、右行為を含む本件順法闘争の結果招来した列車運行の混乱等業務阻害の程度、行為の態様その他諸般の事情に鑑みると、申請人の行為は職員として著しく不都合な行為として前記各懲戒規定における懲戒事由に該当するものと認めるのが相当である。

2  国鉄法適用の当否

申請人は、国鉄法三五条等を論拠に、国鉄職員が集団的労働関係における組合活動として行った行為については、公労法及び労働組合法が適用される反面、職員の個人的な服務規律違反の行為を対象とした国鉄法や就業規則等の懲戒規定の適用は排除されるとして、申請人の本件における行為はいずれも組合活動の一環であるから国鉄法等の適用を受けない旨主張するところ、申請人の本件における行為は叙上の本件闘争の経過に照らし組合活動(争議行為)として行われたものであることは明らかであるが、そもそも国鉄職員については公労法一七条一項により争議行為を全面的に禁止されていることは後記3のとおりであるから、違法な争議行為については労働組合法七条一項本文を適用する余地はないし、また争議行為は集団的行動ではあるがその集団性のために個々の参加者の個人的行為としての面が当然に失われるものではないから、違法な争議行為に参加した者の行為が服務規律違反に該当する場合には懲戒責任を免れ得ないものというべきであり、なお申請人がその論拠の一つとする国鉄法三五条は、国鉄職員の労働関係について公労法が適用されることを注意的に規定したに止まり、違法な争議行為につき国鉄法上の懲戒規定が競合的に適用されることを否定する趣旨までも含むものではないと解すべきであるから、いずれにしても申請人の行為につき右懲戒規定を適用することは妨げられないと解するのが相当である。

3  公労法一七条一項と憲法二八条との関係

申請人は、国鉄職員を含む公共企業体等の職員について一律全面的に争議行為などを禁止した公労法一七条一項は憲法二八条に違反し無効であり、また仮に憲法違反でないとしても、右条項による争議行為の禁止は合理的な範囲内に限定されるものと解釈すべきところ、申請人の行為を含む本件順法闘争はその影響の程度等に鑑み右禁止された争議行為の程度に達しないから、本件順法闘争は、いずれにしても正当な争議権の行使の範囲内にある旨主張するが、公労法一七条一項は公共企業体等職員の争議行為等を一律全面的に禁止しており、右条項が憲法二八条に違反するものでないと解すべきであることは既に最高裁判所の確定した判例であり(昭和五二年五月四日大法廷判決((全逓名古屋中郵事件判決))、刑集三一巻三号一八二頁参照)、当裁判所もこの見解に従うのが相当であると考える。しかるところ、申請人の行為を含め本件順法闘争が争議行為として被申請人の業務の正常な運営を阻害したものであることは明らかであるから、本件順法闘争は公労法一七条一項に違反する違法なものであり、従って右争議行為に参加した申請人の行為が懲戒責任を免責される余地はない。よって申請人の前記主張は採用できない。

4  不当労働行為の成否

申請人は、被申請人が申請人の活発な組合活動を嫌悪した結果本件懲戒免職をなしたものである旨主張するが、かかる事実関係については疎明がないから、本件懲戒免職が不当労働行為であるとの申請人の主張は採用できない。

5  懲戒権の濫用

申請人は本件懲戒免職が懲戒権の濫用によるもので無効である旨主張するので、以下検討する。

(一) 国鉄法三一条一項は、国鉄職員が所定の懲戒事由に該る行為を行った場合に懲戒処分を行うことができるとし、かつ懲戒処分の種類として免職、停職(一月以上一年以下)、減給、戒告の四種を定めており、このような規定の体裁、内容に照らすと、懲戒事由に該る行為をした職員に対し一律に必ず懲戒処分を行うのではなく、懲戒処分を行うべきか否か、またいかなる処分を選択すべきかは懲戒権者の裁量に委ねられているものと解せられる。なお、(証拠略)によれば、国鉄就業規則六七条一、二項及び懲戒の基準に関する協約二、三条はいずれも、懲戒処分の種類として国鉄法上の前記四種を定めると同時に、懲戒事由が懲戒処分を行うに至らないときは訓告をする旨定めていることが一応認められるから、これらの規定上も国鉄法三一条一項と同様懲戒権者に裁量権が付与されていることを看取できる。

しかるところ、懲戒権者たる被申請人において懲戒処分をなすに当たっては、その対象となる職員の懲戒事由に該る行為の動機、目的、態様、結果、影響等や、当該職員の平素の勤務態度、他の処分事例との均衡その他諸般の事情を総合勘案して、合理的に裁量権を行使すべきことが条理上要請されるのであって、もし被申請人のなした懲戒処分が社会観念上著しく妥当性を欠き裁量権の範囲を逸脱したものと認められる場合には違法となるものと解すべきである。

(二) そこで本件懲戒免職につき被申請人の裁量権行使の当否につき以下検討する。

まず申請人の行為の目的、動機をみるに、前記認定のとおり、被申請人が五万人合理化計画の一つの柱として提案したEL・DL機関助士廃止・一人乗務制の実施に反対して動労が行った数次にわたる闘争のうち、昭和四四年五月末に行われた全国的闘争に際して、申請人は動労直方支部における本件順法闘争に参加し同闘争の一環として本件の行為を敢行したものであるが、前記認定の本件闘争の経過等に照らして考察すると、そもそも被申請人が提案した機関助士廃止、一人乗務制実施問題は、機関士、機関助士を主体に組織された動労にとって組合員の労働条件、組合の組織の維持及び輸送業務の安全性に密接に関わる極めて切実な問題であったことは充分理解し得るところであり、従って被申請人としては一人乗務制の実施が止むを得ないものであるとしても、これを実施するに当たっては組合側を納得させるための充分な配慮が信義則上要求されるものというべきである。しかるところ、動労が一人乗務制実施に反対する理由として最も強く主張したのは輸送業務の安全性の問題であったが、この問題を解明するために設置された第三者の構成による調査委員会の報告書において基本的に一人乗務制の妥当性を是認する結論が出されたけれども、右報告書が一人乗務制を即時無条件に実施し得ることを保証したものではなく、実施の条件として安全確保のため種々の対策を講ずべきことを要求していたことは、本件闘争中に右委員会から提出された覚書によっても明らかであり、従って被申請人としては、右報告書により一人乗務制が基本的に是認されたのちもなお実施の条件に関し組合側を納得させるべき充分な配慮を要したものというべきである。しかるに被申請人は組合側の納得を得ないまま策定した実施計画に基づき昭和四四年六月一日から一人乗務制を実施しようとしたこと、これに対する動労の反対闘争中に前記のとおり一人乗務制の早急な実施をいましめるが如き趣旨の覚書が右調査委員会から提出され、かつこれを受けて労使間の交渉により結果的に一人乗務制の実施を暫時延期して労使間の協議を続ける旨の合意が成立していることなどの事情に徴すると、一人乗務制を実施しようとした被申請人の態度がいささか性急にすぎたとの評価を受けても止むを得ないところであり、この点で本件闘争を誘発するにつき被申請人にも幾分かの責任があるものというべく、右闘争及びその一環としての申請人の行為は、その目的、動機において宥恕すべきものがあると認められる。

次に申請人の行為の態様、特に動労直方支部における本件順法闘争につき申請人の果した役割等をみると、そもそも同支部における順法闘争は動労中央闘争委員会及び動労門司地本からの指令に基づいて行われたものであるが、(証拠略)によれば、動労の組合組織上上部機関の指令ないし決定は当然下部機関及び組合員を拘束するものであることが認められ、従って動労直方支部及びその所属組合員である申請人としては、動労中央より順法闘争の指令を受けた以上、右闘争の実施を既定の方針としてこれを実行していくほかない立場にあり、現に申請人は他の同支部組合員と共同して指令された順法闘争を具体的に実施したに過ぎないものである。もっとも申請人は同支部副委員長の地位にあって、同支部において本件順法闘争を遂行するうえで最も主導的な役割を果したことは否めないが、他の組合員の多くも右闘争の遂行にかなり積極的な態度で加担していることが看取されるのみならず、右闘争の経過中発生した個々の業務妨害事件のうちいくつかは他の組合員が当該事件の発生段階で重要な役割を果し、申請人は後発的にこれに参加した事案なのである。なおまた、前記のとおり動労直方支部における本件順法闘争の遂行につき最高責任者たるべき地位にあった杉原委員長が当日偶々不在であったため、申請人が主導的役割を果さざるを得ない結果となったものであることも看過できない点である。

そしてまた、本件順法闘争において申請人が闘争手段としてとった行為は、客観的には順法行動であることを是認し得ない結果となったが、その手段、態様において動労が通常順法闘争の戦術として予定していた範囲内にあるものと認められ、特に動労中央が本件闘争に際し強力な順法闘争を指示していたことを考えると、申請人の行為は動労中央の指令を具体化したに過ぎないといえる。のみならず申請人の行為は、主として争議を目的としたものではあるが、副次的には、線路等設備の安全確保や労働条件の順守をはかる目的も真実存在したことを否定し去ることはできず、その意味で本件順法闘争には単純に争議目的のための業務阻害行為として割り切れない一抹のものがあるといわねばならない。

さらに動労直方支部における申請人の行為を含む本件順法闘争の影響をみると、昭和四四年五月二七日の闘争第一日目においては入換機関車等の出区遅延に止まり列車の運行には支障を生じていないし、翌二八日においては入換機関車等の出区遅延などのほか、旅客列車二本、貨物列車の発着遅延を生じており、この結果は、重大な業務阻害であるといわねばならないが、社会的影響の大きい旅客列車の遅延は二本に止まりかつその遅延の程度も比較的小さく、他方貨物列車の遅延は本数も多くその程度もかなり深刻なものがあるけれども、申請人本人の尋問結果によれば、遅延した貨物列車の多くは石炭運搬列車であって遅延による社会的影響が少ないものであったことが一応認められる。もっともこのように右闘争の影響が貨物列車に集中し旅客列車への影響が比較的軽微であったのは、被申請人において旅客列車優先の措置をとったからでもあろうが、右影響の程度は申請人のために斟酌すべき事情であるといえる。

進んで、他の処分事例をみるに、(証拠略)によれば、動労による本件闘争に対し、被申請人は二九名の動労組合員に対し、内二五名につき公労法一八条による解雇を、申請人を含む残り四名につき国鉄法による懲戒免職をそれぞれなしたこと(この点は当事者間に争いがない)、公労法一八条による解雇を受けた組合員は動労中央の者か、あるいは地方本部の役員及び支部委員長であり、他方国鉄法による懲戒免職を受けた申請人を除く三名のうち二名は、運行中の列車を途中で放棄したことが懲戒事由となったもので、他の一名は暴力事件が右事由となったものであるうえ、前者の二名は懲戒処分の効力を争って東京地方裁判所に提訴した結果第一審で勝訴し、その後当事者間で和解が成立し復職したこと、また動労直方支部における本件順法闘争参加者に対する被申請人の処分は、同支部書記長中川広明、同教宣部長田中道博、同青年部長森田正之助に対しいずれも国鉄法による停職三カ月、その他執行委員数名に対し減給であったことが一応認められる。

ところで、国鉄職員は公労法一七条一項により争議行為を一律全面的に禁止されているが、これはその業務が高度の公共性を有することなどから、万止むを得ず争議権に制限を加えているに過ぎないものと解せられ、憲法二八条が基本的に労働者の争議権を保障している精神に照らすと、争議行為を理由とする不利益処分は必要最小限度に止めるべきであろうし、特に争議行為を計画・指令したものと、右指令を忠実に実行したに過ぎないものとでは、その責任の程度に格段の相違があるものというべきである。また国鉄法による懲戒免職はいうまでもなく国鉄職員としての地位を奪い去り、その生活手段を一挙に失わせるもので、懲戒処分としてはいわば極刑に該るものであるから、これを選択するについては慎重であらねばならない。

そこで、叙上認定説示した本件闘争の経緯及び申請人の行為の目的、動機、態様、果した役割、本件順法闘争の影響や他の処分事例など一切の事情を総合勘案するならば、申請人の本件行為に対し懲戒免職をもって臨むことは苛酷に過ぎるものといわざるを得ず、本件懲戒免職は社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を逸脱した違法があり無効であると解するのが相当である。

6  総括

以上のとおりであるから、申請人は本件懲戒免職にかかわらず引続き被申請人に対し労働契約上の地位を有する。

第三  賃金の請求について

本件懲戒免職の当時申請人が被申請人から毎月二〇日に月額金四万九六〇〇円の基準内賃金の支給を受けていたことは当事者間に争いがなく、よって申請人は昭和四四年一二月一日以後も毎月二〇日限り右同額の基準内賃金(名目額)の支払を受ける権利を有する。

第四  保全の必要性

被申請人が申請人に対し昭和四四年一一月三〇日付で本件懲戒免職をなして以後申請人を自己の職員として取扱うことを拒否していることは前記第一記載のとおりであるところ、(証拠略)によれば、申請人は妻子を有し、自らの労働によって得る収入を唯一の資とする賃金労働者であることが窺われるから、本案判決確定に至るまで申請人の労働契約上の地位を保全し、賃金の仮払を命ずる仮処分判決をなすべき必要性を是認し得る。

第五  結論

よって、申請人の本件仮処分申請は被保全権利及び保全の必要性のいずれにもつき疎明があるので、保証を立てさせないで右申請を認容することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷水央 裁判官 近藤敬夫 裁判官 田中澄夫)

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